十  勝  野

(文・高 橋 幸 男)

第1回 志を持って生きる
選手に宿る 開拓精神
 地吹雪の中、タレントの真田広之さんが空手着姿で、宙を見据えていた。約20年前の1月上旬、大雪山系黒岳。氷点下18度。真田さんの両耳から小さな氷柱が下がっていた。
 極真空手の昇段審査の合宿。「(先輩タレントの千葉真一さんと縁のある)北海道で黒帯(初段)を取りたい」という真田さん、私も含め約20人が精神を試された。
 30分も立っていただろうか。北海道生れの自分でさえ左手小指、薬指から手首にかけてカチカチに凍り耐え難い苦痛に襲われ、10年間も後遺症が残る凍傷になった。試練の後、真田さんは凍傷の痛みに耐えているようで「情けないです」と言った。その言葉には「これしき」という力強さが込められているようで、忍耐強さに感銘を受けた。後で問題が残ったため、現在、このような稽古は行なわれていない。
 深みのある俳優に成長した背景には、空手で培った精神力の強さがあるように思う。
 極真空手は故・大山倍達極真会館総裁が創出し、世界で始めて直接打撃制の大会を開き「地上最強の空手」と言われた。
 初段になるには通常、同じ茶帯の受審者や初段など合わせて10人と連続して戦い、倒されても起き上がり、戦い続けなければならない。初段の突きは板を3、4枚割る威力である。1枚割るには約60sの圧力が必要。相当のダメージを受ける。3月に鹿追町で行った昇段審査は壮年、女子はさほどではなかったが、やはり一般はすさまじいものだった。
 初段合格のための稽古は厳しい。私の場合、ヒンズースクワット連続1,000回、15sのベンチプレス連続500回、腹筋運動連続500回1日に最低でもそれだけはこなしていた。それでこそ破壊力を付けると同時に、けがのしない体をつくることができる。ほかに、サンドバックを用いた練習、組手も行った。
 極真空手は実際に相手を倒すことを目的とする空手であるから、見た目だけの突きや蹴りでは通用しないのだ。
 厳しい世界にあって、十勝の選手の活躍が目立っている。1980年代には、十勝の選手が全道大会で優勝するなどの活躍をした。全国大会でも活躍をした。当時の十勝の選手は体格も良く、札幌の選手の良きライバルだった。
 大山総裁の死後、極真空手が分裂し離合集散を繰り返したが、その後も、統合された全道大会で、十勝を含めた道東、道北の選手の活躍はめざましかった。
 私の道場では現在、小学生から一般の選手が全日本、本州の有名大会に出場し、上位の賞を獲得している。
 どうして、道東、道北の選手が強いのだろうか。寒い土地で育った人間は体が丈夫で、心肺機能が強いと言われていることも無関係ではないだろう。
 それと共に、風土が関係しているようにも思える。十勝は、民間が開拓の中心になった土地柄である。私の祖父母も開拓を志して十勝に入った。試合などで果敢に相手に挑む十勝の選手の姿を見ていると、厳しい自然の中、風雪に耐え、原野を切り開いた開拓精神が選手の中に流れているようにも見える。
 私が所属する全日本極真連合会の幹部の中では「自然環境がいいから十勝の選手はまだまだ伸びる」と言われている。ある程度の気持ちのおおらかさを伴うことが、人間の大きさや本当の意味での強さにつながっていくからだ。
 今年1月に世界大会が開かれた沖縄は、ひじょうに元気だ。沖縄は東京中心主義ではなく、郷土の文化を誇りにしている。極真空手の中でも沖縄は強い。十勝もそうした要素を持っている。
 極真空手の門をたたく若者は有能な人材が多い。この十勝から全日本と世界チャンピョンを出すのが私の悲願であるが、それ以上に自分自身の志を持って生きてほしいと願って指導に励んでいる。
 道場の若者たちを見ていると、空手の道を生涯をかけて歩むのも素晴らしいが、もっと広い視野で、幕末の志士のように武道精神を軸に、社会に役立つ仕事をする人を育ってほしいと思う。
 「千日をもって初心とし、万日をもって極みとする」−。
 極真空手は、そんな武道の極意から名付けられた。
 志を貫くためには、表面的な欲望に打ち勝ち、強い意志、辛抱強さが大切。己を殺し、己を生かす。そんな精神が早くから十勝に根付いていたようにも思う。


(空手家、画家)


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