十  勝  野

(文・高 橋 幸 男)
第2回 限界に挑む
新しい領域に達する喜び
 突き、蹴り、スクワット各1,000回、腹筋500回、拳立て伏せ300回、組手(試合を想定した打ち合い)50人…。今年6月の全日本空手道選手権大会に向け、十勝の選手は1日4時間の激しい稽古をこなした。酸欠状態で気が遠くなり、周囲が雨降りのように見えたこともあったという。
 武道家は、こうした苦しい状況を乗り越え、さらに違った境地に達しなければいけない。
 私は全日本空手道選手権大会に出場した現役時代、集中度を高めて稽古をしていた。極真空手の全盛時代で、屈強な有名選手たちが待ち構えていたからだ。
 毎日の稽古は同じ量の繰り返しであってはいけない。日々、限界への挑戦だ。
 これ以上稽古を続けて命は大丈夫か、筋肉断裂などの異常は起きないか。未知の稽古の領域に一歩踏み込む恐怖心と、新しい領域を発見した喜びとが常に共存している。
 稽古を続けると、しだいに体がまひしたようになって、苦しさを感じているが、それ以上の充実感が出てくる。
 苦しい稽古を乗り越え、到達したのは三昧境というのだろう。稽古に没頭し続けると、自意識や時間の感覚もなくなり、気がつくと稽古終了の時間になっていた。それが幸福感なのだろう。
 極真空手の黎明期、極真空手からキックボクシングに転向した大沢昇(本名・藤平昭夫)さんのエピソードとして、サンドバックを打ち続け、体がまひし、自分をコントロールできなくなり、ついに倒れてしまうほどの稽古を行っていたことが知られている。が、大沢氏は猛練習の苦痛の虜になっていたのではなく、苦しさを超え、トランス状態に近いような状況に入っていたのではないかと思う。
 極真空手の全日本大会や世界大会のハイレベルの戦いを見ていると、優勝争いをするようなハイレベルの試合の中に、まったく異次元の何かを感じることがある。
 スピードスケートなどでも、あるレベルまでいったトップアスリートたちは、その異次元の世界を体感しているようだ。普通の人には見えないわからない次元の世界が見えていて、本来なら緊張や恐怖で耐え切れないような過酷な状況の中、案外、当の本人は冷静に戦っている。神経が研ぎ澄まされてくると、相手の動きがスローモーションのように見えてくる。
 最近、空手ブームと言われている。いじめ問題が深刻化し、空手道場に子供を通わせる親が増えたことが背景にある。昔から「強くなる方法を教えてほしい」と言う入門者は多かった。創始者の大山倍達総裁(故人)は「空手はあらゆる格闘技の中で、最強でなければならない」と言い、実戦空手の普及をめざしてきたからだ。
 道場では、強くなる方法を教えてはいる。子供の入門者は手技20種類、足技10種類を学び、半年後には板を2枚程度割るようになる。強くなるのでいじめられる子はいないし、ストレスが発散されるのでいじめる子もいない。大人も同じだ。自信を持ち、自分自身をより高い次元にもっていく喜びを知るからだろう。
 8月末に帯広市で開いた全道大会で、ルール上の反則に当たる顔面への突きが入り、失神した少年が印象的だった。気を取り戻した後、ドクターストップがかかったが、なお試合を続けようとした。倒されても起き上がり、倒そうとする姿が感動を呼んだ。
 本当に強くなるためには、自分自身に打ち勝たなければならない。自分自身の弱さと戦わなければならない。最終的には、未知の心の領域に踏み込む必要がある。
 大山総裁は生前「極意とは人の幸せと同じものである。親が与えるものでもなければ、師が与えるものでもない。自分自身でつかみとるものである」と言っていた。
 日々の修練の中から、自分自身の極意をつかみ取る事を意識して精進すべきだと思う。
(空手家、画家)
2008年11月5日北海道新聞十勝版(夕刊)掲載


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