十  勝  野

(文・高 橋 幸 男)
第4回 不安、恐怖と戦う
試合重ね平常心培う
 「眠れたか」
 「眠れなかった」
 「おれも眠れなかった」
 約20年前、東京の日本武道館で行われた全世界空手道選手権大会。
 試合前の選手控室では、日本を代表する選手が緊張しきった表情で不安げに会話をしていた。
 外国勢が優位との前評判通り準決勝に進出した日本代表選手も苦戦を強いられた。激戦のためにアザだらけになった体を氷で冷やしながら苦悶の表情を浮かべ、強豪と言われる外国人選手との次の戦いを前に、必死に自身に気合を入れていた。
 どのスポーツでも試合前は緊張するものだが、極真空手は直接打撃制の実戦空手で、相手を倒すために突きや蹴りを浴びせあうため常に恐怖心がつきまとう。
 手を刀のように振り下ろし厚さ15cmの氷の板なら4、5枚、板なら6枚以上を重ねて割る。蹴りは束ねたバット4、5本を折ってしまう威力。選手たちは筋力トレーニングで衝撃に耐える体づくりをしているが、当たりどころが悪ければ、骨が折れ、血管や内臓も損傷する。大袈裟に思われるかもしれないが、まさに命を懸けて戦っている。
 世界大会ともなれば、日本の威信を背負っているため、看板を守りきれなかったらどうしようという恐れも一般の試合以上に強く生じるのだろう。
 私も試合は怖かった。初めての試合はテレビ放映のため、天井から強いスポットライトで照らされたこともあり、試合場がまぶしい半面、観客席が真っ暗に見え、向かい合った対戦相手が強く見えて仕方がなかった。そうしたこともあり、どんな時でも平静を保てるように恐怖心をなくすいろいろな試みをした。
 若い頃は自殺があったと言われている十勝管内の山間部の川辺で毎晩一人きりで稽古した。暗闇の中を走り込んだほか、相手がいると想定しながらシャドートレーニングを繰り返した。ガサガサとやぶをこぐ動物の音はクマのものに思え、夜空に稲妻がきらめくと、カミナリが落ちるのではないかと身がすくんだ。
 夜中の広尾町の海で、大波を受け波にさらわれる恐怖と戦いながら一人で稽古を繰り返したこともある。
 自然の中での稽古を終えると、身が清められたかのような独特の爽快感が残る。こつこつと努力することで、攻防のスピードが上がり、集中力や忍耐力は高まった。連続して10人以上の相手と組手(対戦)をする際に、自分自身を支える精神力が培われたように感じる。しかし、試合に向け、恐怖心がなくなることはなかった。
 恐怖心はトレーニングで克服することは難しいと実感した。
 突きや蹴りを受けた時の痛さは、同じ強さでも、受け止め方には個人差がある。同じように恐怖心も、人によって度合いが違う。試合では、恐怖心が闘争心を上回っていれば勝負に弱く、逆だと強いという傾向がある。
 しかし、恐怖心が多いことは必ずしも悪いことではない。恐怖心が多いがゆえに、技の研究をし、その修得に努力して強くなったりもする。
 恐怖心を取り除く努力をすることは、むしろ慣れることが必要だと思う。
 稽古は一人でするよりも、仲間と一緒にするほうが上達が早いように思える。一人で修行することも一定のレベルに達した者は役立つが、数多くの試合に出場し、実戦に慣れることが心を鍛錬する上で大切なことだ。普段の生活において、快楽やみだらな欲望との戦いも必要だろう。
 恐怖心を稽古などで克服してから試合に出るという人もいる。だが、そのような考えでは、とうてい試合での恐怖心を克服できない。試合を重ねる中で、少しずつ平常心を保ちながら戦うことができるようになるのだと思う。
 私たちが生きていく上で、何かに挑戦する時、同じことが言えるのではないだろうか。 

(空手家、画家)
2009年7月1日北海道新聞十勝版(夕刊)掲載


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