十  勝  野

(文・高 橋 幸 男)
第5回 道場生と共に学ぶ
自然の中で創造力培う
 16年前、地元・鹿追町の体育館のトレーニング室でひとり空手の練習をしていると、2人の高校生が声をかけてきた。
 「あの、僕たち、空手を習いたいんです。」
 「君たち、極真空手を知っているのか。」
 「知っています。僕たち、強くなりたいんです。」
 現役選手を長く続けていたが、このように声をかけられ、会話したことはなかった。

 私はこの年、交通事故で弟を亡くした上、兄のように慕っていた空手の先輩も亡くなっていた。その前年には母親が病死していて、仕事上の問題もかかえ、何をする気力もない時期だった。
 一人で家にいても、体調がすぐれずつまらないので、形だけでもと自主トレをしていたのだ。
 2人に声を掛けられ、なりゆきのように何とはなしに教えようと思った。しかし、実際に相手を倒す実戦空手。極真会館の故大山倍達総裁が艱難辛苦の末に生み出し、血と汗の中で受け継がれている空手を、手を抜いて教える訳にはいかない。毎回、高校生には少し辛い稽古を続けた。
 もともと生徒に教えると言うことを考えたことがなく、自分が強くなること以外、ほとんど関心がなかった。各道場で師範、指導員という人たちが生徒を教えることに長い時間を割き、生涯にわたって指導を続けていくということを不思議にさえ思っていた。
 しかし、しばらく教えているうちに想像もしなかったことが起こり始めた。
 生徒たちがぐんぐんうまくなっていった。いつしか、自分も一緒に生徒たちと夢中になって稽古していた。この充実感、幸福感は何なのだろう。ノウハウを伝えるだけではなく、逆に教えることを通じ様々なことに気付かされ、精神的に支えられていたように思う。
 価値あることを後進に伝えていく喜びは、人間の本能ではないのか。
 その後、生徒の一人は町を出てパティシエの修行をし、コンテストで日本一の座を射止め町に戻り店を構えた。評判の人気店になっている。忍耐力を創造力がものをいったのだと思う。
 空手の修行は正確に多くの技を覚えることと同時に、創造力を培うことをめざす。車の両輪の関係で、自らを型にはめていくことと、自由に思考することのいずれが欠けても強くなれない。特に、創造力がなければ伸びない。常に新しい技、稽古方法を考え攻撃と守備の先を読み自分の頭で考えないと上達できないのだ。
 創造力の素地は子供時代の遊びの中で培われる。大自然の中であればなおさらだ。「創造力の巨人」と言われる手塚治虫も、ウォルト・ディズニーも、トーマス・エジソンも自然に触れて育った。極真空手の強豪もそんな環境で育った人が目立つ。
 全日本極真連合会の大石代悟最高師範は富士山の麓で育った。
 だから私は、十勝の道場生を海や山に連れて行く。稽古をしたり、釣りをしたりする中で、子供たちは生き生きと輝きだす。海の稽古では小学生高学年が低学年の子供たちを深みにはまらないように注意し波から守るなど大人並みの気配りをするようになる。何が起きるかわからない自然の中でこそ環境の変化に対応する思考が培われ自然のエネルギーを吸収し創造力がつくのだ。
 9月20日に帯広の森体育館で開かれた第2回北海道空手道選手権大会には、道東、道北を中心に道内各地から約70人の選手が参加し、十勝勢の活躍も目立った。いまや農業王国の十勝だが、その基盤は開拓時代に大自然と向き合った開拓時代の忍耐力と創造力でつくられたのではないだろうか。このことは空手の強さと無縁ではないように思える。
 これまで、生徒に空手を教える中で生徒に支えられ、考えさせられ、教えられてきた。師範と言われる私もまた、生涯、極真の道を歩み続ける一道場生である。共に修行する中で、空手を伝えると言うことは自分の心のありよう、いわば魂を伝えていくと言うことであると思う。 
(空手家、画家)


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