十  勝  野

(文・高 橋 幸 男)
第6回 50人組手を終えて
努力、苦労し得た充実感
 昨年3月、空手の全日本極真連合会国内部長より、理事会の推薦による五段位允許の連絡があった。五段位以上の昇段審査は正式には無いから、それで四段から五段への昇段は決まった。
 ただ、格闘技の月間雑誌「フルコンタクトKARATE」に静岡市で行われた公認審査会の模様が掲載されたことがある。先輩格でもある四段位の先生方数名が、五段位取得を目指し懸命に組手を戦っていた。
 昇格するからには自分もあえて厳しい組手で突破してみたかった。
 3年前の四段位取得のための公認審査会を思い出した。
 柔軟体操から始まり、基本、移動稽古、型、補強、組手とほぼ4時間を通してその力量が試された。
 特に厳しいのが組手だった。手による顔面への攻撃、つかみ等の反則を除けば何をやっても良い。ノックアウトされることもあるし、大怪我をすることもある。
 相手は初段が10人、弐段が20人、参段が30人、四段が40人と10人ずつ増えていく。受審者の汗で床がぬれ、何人も転倒する。中断し皆で床をふくが、再開後しばらくするとまた同じ状態にある。
 きつかった分だけやり遂げたあとの爽快感、充実感がたまらなかった。
 五段位の審査を受けさせてほしい。自信はなかったが、昨年3月、連合会の大石代悟最高師範にお願いした。
 その大石代悟最高師範が私の絵の個展を見に来帯された今年の2月、空手仲間との会食の席で、私は3月の昇段審査について「倒れてもいいと思って臨みます」と話したが、最高師範は「倒れてはだめです。あなたには責任がある」と言われた。
 うかつであった。準備をして下さる最高師範ご自身にも、周りに対しても責任が生じるのは当然であったのだ。事の重大さを知った。50人連続の組手で倒れてはいけない・・・。
 3月7日、静岡市北部体育館柔道場。午後2時から昇段審査が始まった。受審者は20人、五段を受けるのは自分一人であった。以前と同じく準備体操、基本、移動、型、基礎体力テストと進んでいく。
 この日のために技を磨き、スタミナをつける稽古をしてきた。懸命に力を振り絞ってこなしたが、左腕から肩、右太腿が痙攣している。何か調子がおかしい。こんなことは初めてだが、気にしても仕方がない。
 いよいよ組手にはいる。受審者は一列に並び座る。初段に挑戦する茶帯から始まり、彼らが終わってから参段へ挑戦する2人と共に中央に進み並ぶ。 対戦者が呼ばれいよいよ50人組手が始まる。ほぼ黒帯のレベルの相手だ。参段位を目指す2人と組手の対戦者30人までは同じ。最初は慎重に相手の技をもらわないように後半のスタミナ配分を考えて動く。
 10人目くらいから次第に息も荒くなり汗が流れ落ちる。相手のすきを見て倒しにいくが、技は時々入るのになかなか倒れてくれない。旭川から同行してくれた石川秀樹先生(四段)がセコンドに付き、合間に汗を拭いてくれ、水分補給や組手のアドバイスをしてくれる。
 係の人がボードに対戦した人数を記録していくのを見る。こんなに苦しいのにまだ半分か・・・長いなあと思う。
 参段受審者の2人が終わり、残り20人を自分一人で組手し続ける。体力が限界に近づき技が出なくなる。見学者、関係者500人が自分の戦いに注目している。
 周りから励ましの声援を送ってもらうが、対戦者の突き、蹴りが次第に入り始め右脇腹を狙って来る突きをブロックする腕が腫れあがり、そこをまたたたかれる。いつものように動ければこんなはずは無いのに。しかし、苦しさの中にも充実感を味わっていた。不満も迷いもない透明なすがすがしさ、歓喜・・・。
 最後の50人目を戦い終え、主審を務めてくださった大石最高師範に礼をする。なんとか倒されずに最後までやり通せた。感謝の気持ちでいっぱいであった。
 帯の価値とはなんだろうといつも考える。努力し苦労し勝ち取ってこそ価値があるものではないか。道内で組手を経て五段位になったのは1人という。今回の経験を自らの空手人生に生かし、後進の指導に役立てていきたいと思う。
(空手家、画家)
2010年3月31日北海道新聞十勝版(夕刊)掲載


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