十  勝  野

(文・高 橋 幸 男)
第7回 原点を持つ
自己見つめ日々勉強
 民話の語りで活躍した都甲雅子さん(故人)は、情感あふれる素朴な口調で大勢の人々を魅了し、出身地の帯広市を中心に地方文化を活気づけた。
 都甲さんは、2007年夏に68歳で亡くなったが、その数日前まで舞台に立ち続けていた。画家の私は地方文化を盛り上げようと、一緒に活動してきた。自宅にお邪魔した時、都甲さんは炊事の支度をしながら語りの練習をしていた。「なぜ、そんなに努力しているのですか」と聞くと、「20歳の元旦に海に行って生きる意味を考え、民話の語りに人生をかけると誓ったのです」と原点を答えてくれた。長い人生にはさまざまな出来事があり、障害や困難が数多くあったかずである。そのたびに、若き日の原点に立ち返り、乗り越えて来たのだと思う。充実した悔いのない人生だったに違いない。
 私は半生を、絵画(芸術)と空手(武道)の世界に生きて来たが、いつもその両方に大きく共通するものを感じている。芸術も武道も生涯を通じて追求するものであり一本の長い道筋であると思う。
 人生をどう生きていくかは人それぞれであり、広く浅くいろいろなことを楽しみながらやっていくという人もいるし、生きるということをあまり意識しないひともいるだろう。
 しかし、多くの人は生きる意味について考え、より良い人生をどう生きていくかを模索していくのではないだろうか。
 私はもともといろいろなことに興味を持つ方で、なかなか目標が定まらなかったが、一つのことを20年、30年と通して行くことによって、それまで見えなかったものが見えるようになり、それが他のことにも通じていくのが分かるようになってきた。
 強くなりたい、護身や健康目的、仲間を求めて、親が子供に礼儀を教えたい、あるいは道を求めて、空手の道場生たちはさまざまな動機で入門してくる。普通、その後、2、3ヵ月の間は興味と勢いだけでけいこできる。
 しかし、1年も続けていくと興味や新鮮さがしだいに薄れ、やはり努力、忍耐が必要になる。己の心身を少しずつでもつくり変えていく作業はそう生易しくはないことが分かってくる。数年もたつとけいこ内容も難しくなり、後輩たちの追い上げも厳しくなってくる。あきらめるか嫌になってやめてしまう。
 大会に出場してもそう勝てるものではないし、けがに苦しむこともある。その上、緊張感や恐怖心とも闘わなければならない。生活面でも仕事や家庭環境などの問題もいろいろ出てくるだろう。
 困難や障害のない順調な時はよいが、生きている限りさまざまな局面で必ず壁に突き当たる。そのような時に、いちいち挫折していたのでは何事も成就出来ずに終わってしまうだろう。自信をなくし周囲の状況に惑わされ、混乱している時にこそ自己の原点に立ち返り再スタートを切れるかどうかが分かれ道になると思う。
 迷い、疑問が生じた時に原点に立ち返ることで冷静に初心を再確認し、本来の自分を取り戻せるのではないか。困難を克服したときにこそ強い人間になるのであるし、その方法としてしっかりした自己の原点を持つことにも意味がある。
 原点とは理屈とともに、ある種の感覚(高揚感、充実感など)で成り立つものであると思う。行動のモチベーションとなるものは、他から与えられたり偶然の出来事だったりする場合もあるだろうが、自ら率先して目標の意味を考えて進んでいく積極性も必要だろう。空手に限ったことではないが、日々の勉強に加え自己を深く見つめ、原点をしっかり持つことが大切だと思う。
(空手家、画家)
北海道新聞十勝版(夕刊)掲載


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