防  風  林

(文・高 橋 幸 男)

第7回 稽古はどこでもできる
 道場への行き帰りの車中で、信号待ちの時間に足上げ腹筋をやる。一昨年の昇段審査の時には新幹線の待ち時間に型の稽古をしていた。
 普段の生活の中でもかかとをつけずに歩いたり、また人混みの中を歩く時にはジグザグに人の間をすり抜ける稽古・・・。
 今でも切れ端の時間を稽古にあてている。毎日の仕事、雑事をこなしながら十分に道場稽古の時間を取ることはできない。サンドバックや相対稽古など器具や相手が必要な事もあるが、多くは一人でできるものだ。
 だから私の場合実際、道場で行う稽古時間は多くはなかったが、量的にはその倍もこなしていたのだと思う。大会が近いのに仕事に追われ、時間が取れない時など街中を歩いている途中の信号待ち時間に腕立て伏せをやったりしたものだ。
 稽古は道場にいてその時間だけやっていればいいというものではない。
 またいろいろな場所で行う切れ端の時間を利用した稽古は道場ではできない質のものもあり、別な意味での集中力を身につけることができると思う。
 仕事の合間、空き時間などに行った稽古(部位鍛錬の回数など)はノートに記録して表にし、いつでもその量がわかるようにしていた。その日に稽古に入る前には表の3分の1くらいは埋まるようになっていた。そうすることによって稽古にも弾みがつくというものだ。
 そしてもうひとつ大切なことは空手を意識する時間を長く持つということだと思う。意識することで稽古のある部分は進んでいると考えていいようである。
 修練の意味を考え、組手の緊張感をイメージし寸暇を惜しんで稽古することによって、精神的にも成長できるし生活にも張りができると思う。心さえ強くもてばあらゆる場所が道場になるものである。依存心、依頼心を捨て自ら学習し創意工夫することで道を開いていってほしいと思う。
(空手家、画家・鹿追)
2012年10月26日北海道新聞十勝版(夕刊)


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