平成21年12月13日に東京で全日本無差別級大会に出場しました。
大会結果は決して満足出来るものではありませんでしたが、今までのどの大会より色々なことを考え・苦しみ、そしてその経験から大切なことを学ぶことが出来たのではないかと思います。
まず、私はこの大会に出場するにあたり、今年の北海道大会と妻の出産予定日が重なり出場することが出来ませんでした。その為この大会への出場資格がありませんでした。
そのことを夏の合宿で知り、その後、自暴自棄になり大会への熱も冷め選手としての活動を続けていることにさえ疑問を感じるようになりました。
それから、一ヵ月近く悩み・色々なことを考えました。
しかし、悪い事ばかりではありませんでした。むしろ、自分が色々な方々に支えられ、良い仲間に恵まれていることを再確認出来ました。その時、いただいたメッセージを思い返すと、今でも胸が熱くなり、そして優しい穏やかな気持ちになれます。
そして一ヵ月いろいろな方のアドバイスをもらい考え抜いた結果、自分がこの大会にかけている思いを伝え、先生方へ再度出場を認めてもらえるようお願いする事に決めました。
そして後日、先生に師範へお話しする機会を設けてもらい大会への思いを伝えました。他の先生方とこの件について協議してもらい、大会への出場を認めていただける事になりました。
本当に嬉しかったです。そして「絶対にこの試合は負けられない。」「絶対に成績を残さなければならない。」という決意が湧いてきました。
しかし決意とは裏腹に、一度切れた大会への気持ちを立て直すことが出来ずにいました。
楽しかった稽古が苦しくてたまりませんでした。
静岡県大会でスタミナ不足が気になっていたので、この時期にマラソンや自転車や水泳などでスタミナの向上をはかりました。
それからしばらくして、他団体の大会に出場出来る事になりました。(この大会に出場するまでのことは割愛させていただきます。)
その大会には昔一緒に共に競い合ったライバル達が居るので、大会へのボルテージが一気に上がりました。辛かった追い込み稽古も集中して取り組むことが出来ました。
しかし、大会3週間前に「急性虫垂炎」になり緊急手術をしました。
そして、一週間の入院。大会への出場は絶望的でした。
しかし、どうしてもライバル達と戦いたかったので出場することにしました。
退院後2週間やれることをひたすら頑張りました。
そして他団体大会当日、稲井君と2人で出場しました。
結果は3位入賞でした。優勝した渡部紫苑君との対決を目指して頑張りましたが、準決勝で山田亮介君に判定負けしてしまいました。山田君は本当に強く良い選手でした。
3位決定戦で伊藤聡さんと戦い延長戦の末、判定勝ちしたものの右背足を骨折してしまいました。
全日本無差別級大会まで一ヶ月、最悪の怪我を負ってしまいました。
その後、練習量だけがとりえの私は、医者の忠告を無視して骨折した足で走りこみ・ミット・スパーに明け暮れました。
しかし、当然骨折が良くなるわけありません。大会が近づくにつれて焦りと不安に襲われました。
そして治療に専念しなかった後悔だけがのこりました。
大会一週間前、骨折の痛みはひいてきたものの、大会までには完治しないと思いました。
空手の先輩からのアドバイスで「大会一週間前はゆっくり休んだほうが良いよ」と言われその忠告に従うことにしました。
食事の管理程度気をつけてゆっくりのんびり一週間過ごしました。
そして大会前日移動日、気分は最悪です。お願いして出場したこの大会、無様な結果で終わるわけにはいきません。
東京に到着して先生方や谷口君や稲井君と会っても空元気すら出ませんでした。
メンタル面の弱さを自覚しました。
そして大会当日、思いのほかよく眠れて体も軽いです。気持ちも高揚してきて前日の不安が嘘のように集中力が高まってきました。
会場に入り、アップをして足の痛みの確認をしました。
すると・・・・「痛い」。一週間前と痛みが変わりませんでした。
一気に気持ちが落ち込みました。でも、ここまで来たからにはやるしかありません。
そして初戦、一回戦はシードでしたので2回戦から始まりました。
対戦相手は沖縄の親泊選手です。全日本ウェイト制軽量級2連覇。そして、ワールドカップ軽量級チャンピオンです。
一年前も同じ大会で戦いました。結果は僕の奇襲作戦が成功して勝つことができました。しかし、技術も経験も相手が上です。同じ作戦が2度通じるとは思えません。下手な小細工は抜きで、後先考えず全力でぶつかることにしました。
昨年同様、対格差で押し切ることが出来何とか本戦で判定勝ちすることが出来ました。
そして3回戦、他流派の宮崎選手です。
この選手は白蓮会館の世界大会で中量級3位の実績を持つ選手でスピード・パワー・テクニック全て揃っている総合力の高い選手です。
この試合に勝てばベスト8入賞、そしてスペインの強豪ジョナタン・ティネオ選手との対戦です。
覚悟を決めて試合に臨みました。
結果は最終延長1−4で判定負けしました。
試合後、映像を確認すると基本的な体捌きの違いが目立ちました。
突き・蹴りを見比べると、宮崎選手は最短距離で無駄のない攻撃を瞬間的に繰り出していました。それに比べ私は、力み・振りかぶり・軸のねじれなどの欠点が目立ちました。
基礎的な稽古の足りなさを痛感しました。
しかし、欠点ばかりではありませんでした。
静岡県大会でのスタミナ不足を教訓に、走りこみや自転車や水泳といった有酸素運動を徹底的に取り組んだ成果が出せたと思います。
また、ビックミット(フルパワー)を3分×3セットを半年以上取り組んだおかげで手数も出せる様になりました。
怪我の痛みも忘れ全力を出し切れたと思います。
結果は負けですが納得いく戦いでした。
昨年も3回戦で中国のチェン・チュン・カン選手に最終延長判定負けをしました。
今年も宮崎選手に3回戦最終延長判定負けでした。
結果だけを考えると一年前の壁を越えられなかったのかもしれません。
しかし、怪我や病気などを乗り越えて昨年同様の成績に並ぶことが出来たことを考えると、一年間取り組んで来たことは無駄ではなかったと思えました。
来年こそは絶対に入賞目指して頑張りたいと思います。
しかし、今年は仕事の都合で昨年以上に稽古時間を確保することが難しそうです。
とはいっても30分程度時間をつくれば補強くらいは出来ます。
小さなことからコツコツと、隙間時間を無駄にしないで、出来ることを最大限に取り組んで行きたいと思います。
また、今回の大会で凄いと思ったことがあります。
極真中部の纐纈選手です。彼は手首を骨折しているのに準優勝の成績を修めました。
彼のほうが私より重症だったはずです。
精神力とプライドで戦い抜いた姿は本当に素晴らしかったです。
自分がちっぽけに見えました。
また、初戦で戦った親泊選手も足小指の骨折を負いながら出場していました。
その他にも骨折や怪我を理由に欠場して観戦している選手などもいました。
怪我を理由に欠場するのは簡単ですが、それを乗り越えて出場できて本当に良かったと思いました。
最後に、大会の出場を認めていただいた師範をはじめ先生方に深く御礼を申し上げます。
また、練習に付き合って頂いた、先輩や仲間にも深く感謝を申し上げます。
私も33歳と若くはありませんが、何とか全国入賞を達成して、師範や先生方へ少しでも恩返しできるように頑張りたいと思いますのでこれからも宜しくお願い致します。
|