ある画家の先輩から小冊子のコピーを頂いたことがある。東京のある美術館と縁のある方の書いた「画家の労作(トラバイユ)と題するものであった。
そこにはヨーロッパの芸術家がどのように仕事をし、どのような生活を送って生きているかが簡潔に述べられていた。 空手を志してほぼ同時期に絵画の道にも入ったが、作品と言う結果が全てである芸術の世界において、才能はどのような位置を占めるのかという疑問が常にあった。
しかし「トラバイユ」にはそういった次元の話は無い。 芸術家の使命は一生ただ仕事だけに生きるものであり、他のことは一切必要ないと言い、現にヨーロッパの芸術家たちはそう生活しているという。つまり才能などというものは徹底した生き方の前では大して意味を持たないのだろう。
極真空手の創始者・故大山倍達総裁は著書の中で「修業の時間を睡眠時間より長くせよ、そうすれば一生を後悔せずに生きていける」と言っている。 私は東洋、西洋に同じ哲学があることに感銘を受け、自分もそのように努力する一生を送りたいと思ったものだ。
夢を実現するため、関係のないことに費やす時間はないはずである。いま一度、人生を銅生きるのかという大きな命題に向き合ってみることも必要だと思う。